あたらし(o-ω-o)

雑食音楽好きの日々です(・ω・´ 自分の日々のgdgdや、歴史に埋もれてしまった作曲家の再発掘・紹介など

エルメンライヒについて 

 

アルベルト・エルメンライヒ / Albert Ellmenreich (1816 - 1905)

ドイツ・ロマン派期の作曲家・歌手で、俳優・詩人(作家)でもあった。
現在では「紡ぎ歌/Spinnliedchen(Spinnerlied)/Op.14 No.4または5」のみで知られる。


エルメンライヒは1816年2月10日ドイツのカールスルーエで、
歌手(バッソ・ブッフォ)の父Johann Baptist Ellmenreich(1770-1817)と
女優・作家であった母Friederike(1775-1845)の間に生まれる。

いくつものオペラを制作し、
1856年には三幕構成のオペラコミック"Der Schmied von Greina-Green"を
作曲・ハンブルクにて上演したとされる。

1905年5月30日にリューベックで亡くなる。


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多彩な才能で演劇音楽に携わった人のイメージがありますが
生まれた時点で既にそういった環境が有ったようですね。

記録の残るピアノ作品集である作品14「音楽の風俗画:優しい性格的小品集」(1863)に
収められている「紡ぎ歌」ですがそれ以外の楽譜は見つかりませんでしたし
第4番なのか第5番なのかも不明確でした(汗)


参考:
Albert Ellmenreich | Classical Composers Database
Albert Ellmenreich - Wikipedia

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  A.エルメンライヒ 
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作曲家H.リヒナーについて 

 

ハインリヒ・リヒナー(ハインリッヒ・リヒナー) / Heinrich Lichner (1829-1898)

当時のドイツ・ロマン派期の作曲家。
日本では「勿忘草(わすれな草)/Forget Me Not/Op.160 No.6」
「ジプシーの踊り(ジプシーダンス)/Gypsy Dance/Op.149 No.6」や
「舞踏の時間に/In der Tanzstunde/Op.64 No.4」などで知られる。


1829年3月6日、当時プロイセン領だったシュレージエン(シレジア)地方の
ハルパースドルフ/Harpersdorf:独(現ポーランドのトファルドチツェ/Twardocice:波)に生まれる。*1
1898年1月7日、ブレスラウ(現ポーランドの都市ヴロツワフ)に亡くなる。

アドルフ・フリードリヒ・ヘッセ(1809-1863)ら*2に学び、生涯ブレスラウで作曲家・指揮者や
"1万1千人の乙女の教会(the Church of the 11,000 Virgins)"*3のカントル・オルガン奏者として勤めた。

作品番号は200以上と多作で、その作品は学習者の為の多くの平易なピアノ曲・讃美歌・合唱曲から成る。

*1) ポーランド、ドルヌィ・シロンスク県ズウォトリヤ郡
*2) おそらく、Karl Karow(1790-1863)ブンツラウの音楽教師・編集者、
Siegfried Dehn(1799-1858)ジークフリート・デーン、音楽理論家、
J.T.Mosewius(1788-1858)、E.F.Baumgart(1817-1871) らにも師事したとされる。

*3)聖ウルスラ教会のことですが、ブレスラウ内の教会かどうかハッキリしません。

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リヒナーの生きた時代は、(だいぶ離れてはいますが)ショパンも生きた激動の時代の現ポーランド圏。
シレジア地方という所は激しい取り合いの歴史があったためにか
日本の紹介文では当時占領していた現ドイツの作曲家とされているようです。

その前にリヒナー自身が名前からドイツ系の人だと思われるので
そのような背景はあまり意味を成さないかもしれませんケド(汗)


...ひとまずこんな感じでメモメモ(๑´▿`๑)=3

世界的には、リヒナー最大の功績の一つであるソナチネ集Op.4,49,66(全9番)も加えて有名です。
日本ではロンドが抜粋される事がありますが、まとまった出版が無いのか馴染みも薄い感じですね(´・ω・`)

弾きました↓
H.リヒナー:"アサガオ"(作品111-6)

参考:
"A Biographical Dictionary of Musicians(第3版)"よりP.533 / Theodore Baker著(英語)
Lich'ner, Heinrich, b. Harpersdorf, Sile-
sia, Mar. 6, 1829; d. Breslau, Jan, 7, 1898.
Pupil of Karow, at Bunzlau; Dehn, at Berlin;
and Mosewius, Baumgart,and Ad. Hesse, at
Breslau, where he became cantor and org.
of the Church of the 11,000 Virgins, and
cond. of the Sängerbund.-Works:Popular
pf.-pieces (rather commonplace sonatinas,
etc.); psalms, choral music, and songs.

Classical Composers Database - Lichner, Heinrich R.
IMSLP - Heinrich Lichner

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  H.リヒナー 
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【紹介】J.ダウランド:「おいで、もう一度」「彼女は言い訳できようか」 

 

20140403.jpg

少し前まで古楽にハマってました。空苑です。

でも結果的にイギリス・ルネサンス期のジョン・ダウランド(1563-1626)と
かなり近めの年代に落ち着くのですよね(笑)

ダウランドはリュート奏者なのですケド、大バッハより100年以上前の人物にして
時代を感じさせない躍動感とルネサンス期特有の爽やかな和声が心地よくて
とても好きな作曲家です。

全3巻の歌曲集の中から、スティング(Sting)というイギリスのロック歌手の方が
歌っているものがとても素敵なので貼ってみます。



おいで、もう一度 / Come Again(, sweet love doth now invite) / 歌曲集第1巻 第17番

前半はのびやかに歌われ、後半は駆け上がる音句と歯切れのいい歌詞が
躍動的で効果的な対比を見せますが、内容は失恋の歌で進むにつれて歌詞が憂鬱になっていきます。



彼女は言い訳できようか(彼女は私の過ちを許すだろうか) / Can she excuse my wrongs / 歌曲集第1巻 第5番

エセックス伯のガリアードとも言い、イギリスの第2代エセックス伯ロバート・テヴァルーの
エリザベス女王への想い(思い?)が歌われています。
この曲は3拍子ですが、時々見せる1.5拍子づつに半分に割るリズムと
後半の疾走感が魅力的で面白い作品です。


"彼女は言い訳できようか"は原曲に忠実でリュート伴奏と分身の術4声を別にしてもらってるのが贅沢です(笑)
"おいで、もう一度"は多少テンポ軸にアレンジが入っていますがほぼ原曲のようです。

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貼ってみるとどちらも第1巻からでした。1597年の出版です。


ダウランドの歌曲は、正統なクラシックの唱法よりスティングさんのような
地の声というか、こういう声のほうが合っていると思います。

歌詞から見ると「愛」とか「彼女」などの単語と「嘆き」「涙」といった単語の
対比がよく見られ、その上にダウランドの価値観みたいなものもよく解ります。


(デザイン性は高くも)楽譜も菱形の音符で英古語の時代に描かれたものですが
それを感じさせないダウランドの生き生きとした旋律にもっと耳を傾けてみてはいかがでしょう。

IMSLP / 歌曲集第1巻

category: あたらし作曲家【番外編】

tag: あたらし作曲家紹介  J.ダウランド 
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