あたらし(o-ω-o)

雑食音楽好きの日々です(・ω・´ 自分の日々のgdgdや、歴史に埋もれてしまった作曲家の再発掘・紹介など

マルティン・フライ(1872-1946)について 

 

マルティン・フライ / Martin Alfred Frey (1872-1946)

ドイツの作曲家、ピアノ教師、音楽著述家、編集者。
日本ではフランス語読みのマルタン・フレで呼ばれることがある。
学習者のための曲を多く作曲しました。

以下は「音楽新報/Neue Zeitschrift für Musik」1920年第87巻第1部の記事より参照。
さらに当紙面左側にはフライの肖像写真が掲載されています。

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ドイツ・テューリンゲンのクロッセン・アン・デア・エルスターに1872年1月23日生まれた。

アイゼンベルクのギムナジウムに初め通学し、その後デーリッチュの師範学校に通った。

1893年(21歳)から1900年(28歳)まで詳細な音楽の勉強に専念した。

フライの親戚のMartin Krause*1にピアノのレッスンを受け、
音楽教育分野という他方面への激励を与えられ、
理論をJ. Jadassohn*2と後にHugo Riemann*3に習う。
(カタルーニャ版ウィキペディアでは「ライプツィヒでKrauseとRiemannに」とある)*4

1920年頃までにハレ(ザーレ)に移住。
「音楽新報」で音楽ライターとしても活動した。

1946年1月18日、そのまま活動拠点の地になったハレで亡くなる。(74歳)

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*1 マルティン・クラウゼ(1853-1918)
*2 Salomon Jadassohn か?
*3 フーゴー・リーマン(1849-1919)

参照 :
*4 Viquipèdia - https://ca.wikipedia.org/wiki/Mart%C3%ADn_Frey
IMSLP - http://imslp.org/wiki/Category:Frey,_Martin

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  M.フライ 
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作曲家ハック(ハックウ)について 

 

今回は"舟歌"(バルカローレ)で名を残すハックウまたはO.ハックについて調べてみました。

日本での情報は、Otto Hackh(オットー・ハック)、ドイツの音楽教師・作曲家。
、といった感じですかね。

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オットー・クリストフ・ハック / Otto Christoph Hackh

1852年9月30日、現ドイツ圏のヴュルテンベルク王国の首都シュトゥットガルトに生まれる。

1871~5年、シュトゥットガルト音楽演劇大学(Stuttgart conservatory)で
ピアノをPruckner(,Dionys)とSpeidel(,Wilhelm)に、和声と作曲をSeifriz(,Max?)に生徒として学ぶ。

1872~5年、Speidelの最初の助手(助教)をする。

1877~8年、Speidelの演奏旅行でドイツ、ティロル、そしてスイスを回る。

1878年の間、ロンドンで教えしつつ、コンサートを行った。

1879年に演奏旅行。

1880年にアメリカのニューヨークに行き、そこで1889年までGrand conservatoryのピアノ部門の首席だった。

1887~8年、ニューヨークにてAnton de Kontskiにピアノを師事。

そのすぐあと、次いで2年間個人的に教えた。
1891~95年に外国へ。精神的消耗の療養のためにヨーロッパで3年を過ごす。

1895年以来はニューヨークとブルックリン(98年まで市)で再び教師をしながら作曲家をした。

1917年9月21日ニューヨークのブルックリンにて64歳で亡くなる。

- - - - -色を薄くしている文字は推測です。


故郷のヴュルテンベルク王国はこのあとすぐに王政が廃止されて
現在はバーデン=ヴュルテンベルク州。シュトゥットガルトはこの州都になっています。

O.ハックにピアノを教えたPrucknerはディオニュス・プルックナー(1834-1896)と思われ
ウィキペ先生にはシュトゥットガルト音楽演劇大学の教員だったとあります。
フランツ・リストの弟子で"2つの演奏会用練習曲 S.145"を献呈されています(!)

Wilhelm Speidel(1826-1899)はその大学の創立者の一人。ピアニスト。
Max Seifriz(1827-1885)は作曲家・ヴァイオリニスト。この大学で音楽史と和声の教師をしていた。

その後のA. de Kontskiはアントン・デ・コンツキ(1817-1899)。ポーランド出身の
世界的なピアニストで、若いときにはモスクワでジョン・フィールドに習った。


ということで、言ってしまえばO.ハックはリストやフィールドの孫弟子の関係と言えます(!!)
ニューヨークで出会えたコンツキなどもスゴイ人なのですケドね(´-`;)

日本では"No.5 海の上で(舟歌)"や"No.6 夏のバラ(マズルカ)"などが収められた
Op.230"6つの易しい小品"中の曲が知られています。作品番号が230ということで多作な作曲家であり
その作品は実用的でかつポピュラー(大衆的・人気のある)なサロン音楽と評価されています。

評価のとおりOp.230は、考え抜かれた品の良い美しさがあって
初めて聴いたときから、どこか別格で魅力的な作曲家という感じがします。

他には難易度が高いピアニスティックなピアノ曲や歌曲などもあるようです。

肖像画については以下のものがありました。
Brooklyn Newsstand / "The Brooklyn Daily Eagle" 27 Oct 1895よりP. 21
新聞記事。右下の一番小さい肖像画がO.ハック。
"The Brooklyn Dairy Eagle"紙は教師としての活動から訃報まで
後年のハックの生活を詳細に伝え、支えていたようです。
なお、この新聞は生年を1851年としています。

参考:
"Dictionary of music and musicians"よりP.57 / George Grove著(1920年/英語)
"Baker's Biographical Dictionary of Musicians(第3版)"よりP.350 / Theodore Baker著(1919年/英語)

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  O.ハック  ハックウ 
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フランス式装飾音表 小まとめ 

 

バロック期のフランス・クラヴサン楽派によって体系化したフランス式
装飾音―Agrément/アグレマンについて、主に装飾記号を用いているもの
またはよく見られる・使われるものを、影響を受けた作曲家の解釈も含めて覚え書きします。

== == == == == == == == == == == ==

参考として、フランスの作曲家またはフランス・クラヴサン楽派である
J-H.ダングルベール(D'Anglebert):Pièce de Clavecin (1689)
大クープラン(F.Couperin):Pièce de Clavecin (1713-1730)
J-H.フィオッコ(J-H.Fiocco):Pièce de Clavecin (1730)

ならびにドイツの
大バッハ(J.S.Bach):Clavier-Büchlein vor W.Fr. Bach(1720-)
の装飾音表を底本とする。


なお、用語については、装飾記号の付された音を被装飾音と呼ぶことにする。
またこれをC(ド)と置き、2度上または2度下の実際の装飾音に対して主要音と呼ぶ。
音符の長さを音価と呼ぶ。

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トランブルマン/Tremblement
「Tremblement」は「振動」の意。プラルトリラー/Pralltriller[独]と同義。
主要音の2度上の音から主要音とを上下に揺らす。

Tremblement simple/トランブルマン・サンプル
2015_Trem.png
「simple」は「単純」の意。単純なプラルトリラー。
2度上の音から始める慣習から最低でも振動(反復)は2回現れる。
反復回数は演奏者にゆだねられるが、まれに装飾記号の波を伸ばして
現代のトリルのように反復回数を多くさせる指示もみられる。

いずれにしても、被装飾音の音価が判断の一基準である。


Tremblement appuyé/トランブルマン・アピュイ
2015_Trem_apy.png
装飾記号の前方(左端)に縦棒をつなげた形。

「appuyé」は「支え(の音)」の意。
これは初めに現れる主要音の2度上の音を指す。(F.Couperin-Tremblementの3要素の1つ*1)
奏法は、通常のTremblementの初めの2度上の音を(主要音に寄り掛かるように)長めにとる。

J.S.BachはAccent und trilloと記し、つまり前打音(アポジャトゥーラ/Appoggiatura[伊](寄り掛かる))
付きのトリロとした。

よって総合的に、前打音(倚音)付きプラルトリラー、より明快に訳すとすれば
「寄り掛かりのあるプラルトリラー」とみることができる。


Tremblement lié/トランブルマン・リエ
2015_Trem_lie.png底本の解釈例と後年の解釈例
「lié」は「つなぐ」の意。被装飾音のひとつ前の順次進行音とスラーがかかる形。
表記として、スラーの終点はプラルトリラーの上方・下方のどちらともがみられる。
奏法は、現代の前打音(群)のようにひとつ前の音に反復音を処理させて、
被装飾音の終止点と拍の頭が一致するように奏するのがピアノ奏法で一般的であるが、
底本ではスラーを掛けてひとまとまりとはするものの、
通常のtremblementと同様に装飾を拍の頭と同時に開始するものとしている。

よって作曲家の指示があるならそれに従って演奏する。


Tremblement ouvert/トランブルマン・ウ(ー)ヴェール (F.Couperin, J-H.Fiocco)
2015_Trem_ouv.png
「ouvert」は「開いた」の意。装飾記号の後方(右)に上向きのヒゲが付される。
被装飾音の末尾をターンの様に処理する。一般的に上行する音に続く。

別称にTremblement et pincé(D'Anglebert)やTrillo und mordant(J.S.Bach)があることから
つまりはプラルトリラーとモルデントを組み合わせた装飾記号として生まれたと推測できる。

*1. F.Couperin -
長い音価をもつトランブルマンは3つの要素を持つ。
トランブルマンの3要素
1. アピュイ/L'Appuyé ― 支え(主要音の2度上の音)
2. バットマン/Les Battement(打つ) ― 反復音
3. ポアン・ダレ/Le Point-d'arrêt ― 停止点



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Pincé/パンセ
Mordent/モルデント[独]と同義。Tremblementと逆で2度下側に揺らす。
"2度上の音から始める"慣習を適用しても現代の奏法と変わりはあまりない。
接尾辞を付してPincementとするものもみられる。

Pincé simple/パンセ・サンプルPincé double/パンセ・ドゥーブル
2015_Pince.png
パンセは細かく分けて-simple(単純)と-double(2重)があり
-simple(単純)は短いモルデントとして1,2回の振動、
-double(2重)は長いモルデントとして2回以上の振動を加えるという様に、おおよそ記される場合がある。
Tremblementと同じように、反復回数は演奏者が任意で決める。


Pincé et port de voix/パンセ・エ・ポール・ド・ヴォワ
L.Cl.Daquinを参考に加える。
2015_Pince_pdv.png
全体を訳すと「声を運ぶモルデント」。装飾記号前方(左)に下向き(上に突)のヒゲが付される。

2度下の音から始めるPincé。
Tremblement appuyéのように初めの2度下の音を長めにとる。
(長めに扱わない場合、ターン(Cadence/カ(キャ)ドンスまたはDoublé)の一種となる。)

Tremblement appuyéの逆のAppoggiatura―前打音(倚音)付きモルデントとみることができる。

(作曲家により表記の揺れがありF.CouperinはPort de voix simpleまたはPort de voix doubleと記した。
譜表に加えたL.Cl.Daquinはport de voix et pincéと記し、etを中心に逆転している。)

(またport de voixはポルタメントへ派生した語でもある。)



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Coulé(e)/クレ
「Coulé」はおよそ「流れる」の意。
主要音と2度の関係の前打音を音価分とって滑らかにつないだり、
跳躍する2音間の音をレガートにつなげるときに使われる演奏技法。

Tierce coulé/ティエルス・クレ
2015_coule_3.png
「tierce」は「3度」の意。またCoulé de tierceと記される場合もある。
3度走音と和訳される。3度和音の間に斜線を挟んだ形。
斜線の傾きで上行下行が決まるが上行がよくみられる。

奏法は、3度和音のアルペジオ中に上声音への経過音を加える。


== == == == == == == == == == == ==

ここで説明したことは記号の意味の理解・解釈の仕方であって、
明確な奏法を伝えるものではありません。

装飾音とは最終的に演奏者の解釈にゆだねられるものであり、
数学的に"前打音の音価"や"揺れ(反復音)の反復回数"などを唯一無二に
決めつけられるものではないからです。


個人的にはTrenblement ouvertの譜例でD'Anglebertはプラルトリラー記号の後方(右端)に
この時代に"Pincé"を意味する"括弧"を用いていますが、J-H.Fioccoは
(長い)プラルトリラーと括弧を合体させて"ひげ"になっていることが分かり興味深いです。

ではでは、乱文かつ不備があるとは思いますがこんな感じで(・ω・)ノ {フランスゴワカラヌス

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  装飾音 
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エルメンライヒについて 

 

アルベルト・エルメンライヒ / Albert Ellmenreich (1816 - 1905)

ドイツ・ロマン派期の作曲家・歌手で、俳優・詩人(作家)でもあった。
現在では「紡ぎ歌/Spinnliedchen(Spinnerlied)/Op.14 No.4または5」のみで知られる。


エルメンライヒは1816年2月10日ドイツのカールスルーエで、
歌手(バッソ・ブッフォ)の父Johann Baptist Ellmenreich(1770-1817)と
女優・作家であった母Friederike(1775-1845)の間に生まれる。

いくつものオペラを制作し、
1856年には三幕構成のオペラコミック"Der Schmied von Greina-Green"を
作曲・ハンブルクにて上演したとされる。

1905年5月30日にリューベックで亡くなる。


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多彩な才能で演劇音楽に携わった人のイメージがありますが
生まれた時点で既にそういった環境が有ったようですね。

記録の残るピアノ作品集である作品14「音楽の風俗画:優しい性格的小品集」(1863)に
収められている「紡ぎ歌」ですがそれ以外の楽譜は見つかりませんでしたし
第4番なのか第5番なのかも不明確でした(汗)


参考:
Albert Ellmenreich | Classical Composers Database
Albert Ellmenreich - Wikipedia

category: 作曲家の資料

tag: 音楽  A.エルメンライヒ 
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作曲家H.リヒナーについて 

 

ハインリヒ・リヒナー(ハインリッヒ・リヒナー) / Heinrich Lichner (1829-1898)

当時のドイツ・ロマン派期の作曲家。
日本では「勿忘草(わすれな草)/Forget Me Not/Op.160 No.6」
「ジプシーの踊り(ジプシーダンス)/Gypsy Dance/Op.149 No.6」や
「舞踏の時間に/In der Tanzstunde/Op.64 No.4」などで知られる。


1829年3月6日、当時プロイセン領だったシュレージエン(シレジア)地方の
ハルパースドルフ/Harpersdorf:独(現ポーランドのトファルドチツェ/Twardocice:波)に生まれる。*1
1898年1月7日、ブレスラウ(現ポーランドの都市ヴロツワフ)に亡くなる。

アドルフ・フリードリヒ・ヘッセ(1809-1863)ら*2に学び、生涯ブレスラウで作曲家・指揮者や
"1万1千人の乙女の教会(the Church of the 11,000 Virgins)"*3のカントル・オルガン奏者として勤めた。

作品番号は200以上と多作で、その作品は学習者の為の多くの平易なピアノ曲・讃美歌・合唱曲から成る。

*1) ポーランド、ドルヌィ・シロンスク県ズウォトリヤ郡
*2) おそらく、Karl Karow(1790-1863)ブンツラウの音楽教師・編集者、
Siegfried Dehn(1799-1858)ジークフリート・デーン、音楽理論家、
J.T.Mosewius(1788-1858)、E.F.Baumgart(1817-1871) らにも師事したとされる。

*3)聖ウルスラ教会のことですが、ブレスラウ内の教会かどうかハッキリしません。

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リヒナーの生きた時代は、(だいぶ離れてはいますが)ショパンも生きた激動の時代の現ポーランド圏。
シレジア地方という所は激しい取り合いの歴史があったためにか
日本の紹介文では当時占領していた現ドイツの作曲家とされているようです。

その前にリヒナー自身が名前からドイツ系の人だと思われるので
そのような背景はあまり意味を成さないかもしれませんケド(汗)


...ひとまずこんな感じでメモメモ(๑´▿`๑)=3

世界的には、リヒナー最大の功績の一つであるソナチネ集Op.4,49,66(全9番)も加えて有名です。
日本ではロンドが抜粋される事がありますが、まとまった出版が無いのか馴染みも薄い感じですね(´・ω・`)

弾きました↓
H.リヒナー:"アサガオ"(作品111-6)

参考:
"A Biographical Dictionary of Musicians(第3版)"よりP.533 / Theodore Baker著(英語)
Lich'ner, Heinrich, b. Harpersdorf, Sile-
sia, Mar. 6, 1829; d. Breslau, Jan, 7, 1898.
Pupil of Karow, at Bunzlau; Dehn, at Berlin;
and Mosewius, Baumgart,and Ad. Hesse, at
Breslau, where he became cantor and org.
of the Church of the 11,000 Virgins, and
cond. of the Sängerbund.-Works:Popular
pf.-pieces (rather commonplace sonatinas,
etc.); psalms, choral music, and songs.

Classical Composers Database - Lichner, Heinrich R.
IMSLP - Heinrich Lichner

category: 作曲家の資料

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